神様の実り

わたしの夢

10月3日は、目白が丘教会にてコンサートでした。

わたしは、ユース聖歌隊の若い歌声とともに歌うことができました。

ぐぐぐっと若い世代のみんなですが、

わたしはいつも彼らに教えられることばかりです。

shine

わたしには、もうひとつ大切な若い歌声があります。

ワグネルのみんなの人間の活力に満ちた歌声と、

ユースの清らかな響き。

いつか一緒に、歌うことができたらなあという夢をえがいています。

お互いに大切ななにかを持ち寄ることができるような気がしてなりません。

shine

夢は、ことばにして思い描けたら、いつかかなうもの。

そう信じています。

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年度末の感謝

教会

わたしの母教会です日本バプテスト目白ヶ丘教会。

年度末の節目の主日礼拝にて、賛美の機会をいただきました。

グノー作曲で、詩編23章を歌詞にしています「まことの飼い主」

一年間の神様の導きに感謝をこめて、

わたしなりに精一杯の準備をしてのぞみました。

まことの飼い主 主ともにませば

乏しきことなし すべてのことに

緑の牧場に 我をば伏させ

小川のそばにて 我が身は憩う

いかなる恵みぞ

されども時には 迷うこの身を

主は手に抱きて 慰めたもう

あくまの住みかと見えたる谷も

我に恐れなし 主ともにませば

我生ける限り この飼い主とともに住みて

常に褒めん 常世まで 

主なる神よと

どんなときも、主に育まれながら歩む幸せに感謝しつつ。

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ユース聖歌隊

教会の響き

三月の最初の主日礼拝は、ユース聖歌隊といって、

教会の10代、20代、ときどき30代(笑)の若い歌声十数名で賛美をしました。

学校や仕事に追われるこの世代は、

素晴らしい透明な歌声にめぐまれていながらも、

なかなか定期的な練習をすることができずにとてももったいないのですが、

今回は、この日のために、数回平日の夜に練習時間を持ち、

素晴らしい賛美をすることができました。

指導をさせていただきながら、

清らかでまっすぐな信仰に呼吸をもらった歌声に、いつも感動しています。

写真は、夜の会堂。

静かに歌声が響きました。

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横浜シオンキリスト教会コンサート

横浜シオンキリスト教会コンサート
素晴らしい時間をありがとうございました。

お話を頂いたのは、確か7月ごろだったかと思います・・・

大学時代からの恩師です、寺川信男先生からご連絡いただき、

今日のコンサートの運びになりました。

クリスチャンになる初めの一歩を与えてくださった先生と、

教会でコンサートが出来るなんて、こんな嬉しいことはありませんでした。

教会の清潔な会堂は、声がどこまでも響き、

お話もマイクなしで十分でした。

牧師先生はじめ、教会の方々、また初めて教会に足を向けられた方々、

みなさん暖かく聴いておられ、長大なオペラアリアも、まったく集中をきらせることなく世界を作ってくださいました。

緊張はありましたが、なんともいえない安心感に包まれ、

なによりも、優しさに満ちた、そして歌い手以上に曲もイタリア語も熟知しておられる寺川先生のピアノは素晴らしく、まったく疲れを覚えることなく、最後まで歌わせていただきました。

帰りは、先生のお車で送っていただき、

たくさんお話も出来ました。

今まで滞っていたものが、流れ出したような、そんな一日。

まさしく神様からのプレゼント。

演奏の最後には、あふれる感謝で胸がいっぱいになりました。

こんなふうな気持ちで、いつでもいつでも歌っていたいです。

ほんとうに、ありがとうございました。

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何事にも時がある

何事にも時があり、

天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

生まれる時、死ぬ時

植える時、植えたものを抜く時、

殺す時、癒す時、

破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時

(略)

人が労苦してみたところで何になろう。

わたしは知った。

人間として最も幸福なのは

喜び楽しんで一生を送ることだ、と。

(旧約聖書 コヘレトの言葉 3章1節~12節)

・・・最近は、ものごとがひと段落して、

次の扉をあける時期のように自分で感じているのですが、

一方でその背中を押すように、今まで愛着していたものごとに対して寂しさ、怒り、というものがわくようになっています。

あのひとのあそこがだめ。

だからあのひとのいるあそこはだめ。

だからわたしはあそこではないところに行く。

・・・という論法で、いろいろなことを裁いています。

この論法では、本来の扉ではないものを開いてしまいそう。

今日はふとこの聖書の箇所を思い出しました。

まずはいまおかれている環境に、喜び楽しんで毎日をくらしてみようと思いました。

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わたしの受洗

わたしは2004年の10月3日に、東京・目白にあります日本バプテスト連盟目白ヶ丘教会で、金子敬牧師のもと受洗しました。


それまでもずっと、歌うことを通じて、自分よりも大きな存在を認め、
近くの教会にも通い求めていましたが、
その年は私にとって激動の一年であり、もう主なくしては何事もできないという状況でした。


一番大きな動きは、仕事上のことでした。
わたしを認め、デビューさせてくださった先生方同士でいざこざがあり、
わたしはその事情を知らずに、お二人のかたのお仕事をお受けしてしまいました。


おひとかたは本当に娘のようにかわいがってくださっていたし、その怒りをどこにぶつけるのかわからなくなってしまったのでしょう。
その矛先は、稽古場でその公演の主役をつとめていました私に向かってしまいました。


明らかに理不尽な怒りをぶつけ、なにをどうやっても怒鳴り、二言めには「きみを降ろしたっていいんだ」と言いました。
でも、わたしはその公演が初めての主役で、それを喜んでくれた多くのお客様がチケットを求めてくださっていたので、けして降りられませんでした。

わたしのために、何枚も稽古着や楽屋着をぬってくれた叔母、今までどんな小さな役でもチケットを買って応援してくれた父や母、お客様の顔が目に浮かんで、どうしてもわたしはその稽古場に立っていなければいけませんでした。


とにかく徹底的に稽古場には一番に行くようにし、誰よりもたくさん稽古をしようと思いました。


そして、そのころ偶然気になった教会にふらりと入ってみた教会が、目白ヶ丘教会でした。


なかに入ると牧師先生が会堂を案内してくださり、
広くて飾り気のない素朴な会堂で
「ここは気持ちがよくて、よくみなさん礼拝中に寝てしまうんですよ。でもそれでいいんです。教会はそういう場所なんです。」
とおっしゃいました。


信仰というと、聖書をどれだけ知っているとか、お祈りがうまく言えるとか、奉仕をどれだけしたかということが先に立ってしまうような気がして、二の足をふんでいました。
そして、クリスチャンというひとのなかに、つまづきを覚えてもいました。


でも、この先生は本物だ。と思いました。
それで、稽古のかたわらこの教会に定期的に通うようになり、先生といろんなお話をしながら信仰に恵まれました。


どんなに信頼している素晴らしいひとでも、なにかのことで豹変してしまうことがある。
ひとは完全なものではない。
そこに直面していたわたしに、金子先生がおっしゃったことは、


「神様に仲介人になって頂く。つらい状況になったら、神様にあなたとそのかたの間にはいって頂く。
そして、あなたはそのひとに対してではなく、神様に対して歌い演じなさい。」

「なにか失敗してもいい。イエスさまはあなたの掃除人なんですよ。あなたのうしろで、いつもあなたの汚したものを掃除してくださっているんです。」


このふたつのことは、稽古場で大きなわたしの支えになりました。


辛い状況はじょじょに薄れて、最後の通し稽古では、その先生は
「この子が一番よく稽古した。」と言ってくださいました。


公演もまもられ、そしてわたしはその先生の団体を卒業し、あたらしく出来た東京歌劇座では何作も主演させて頂き、ほかにもいろいろな素晴らしい出会いとともに現在に至ります。


その公演の4ヶ月後、わたしは信仰告白をし、受洗しました。
また、去年はその教会で結婚式もあげることが出来ました。
あまり熱心に教会に通うことがありませんだめだめクリスチャンですが、
これからも主とともに、主にお掃除していただきながら、主に照らされて歩んでいきたいと思います。


なんとなく今日はそのことを思い出し、日記にかきたくなりました。。。

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教会と私

ブログ二日目。

おお。
続いております(しかしまだ二日目)。


今日は、わたしの受洗した教会です、日本バプテスト目白が丘教会にて、

子供クリスマス会に参加してきました。

イエス様の降誕の劇を子供達がいっしょうけんめいしたあとに、

わたし歌いました。


♪イエスが心に(賛美歌)

♪神様の贈り物

♪クリスマス・リスト

♪クリスマスメドレー


この4つをお話をまじえつつ(かなりしどろもどろ)、歌いました。

・・・いやあ。まあ。緊張したのなんの。

教会の会堂で歌うことは、わたしにとって神様のなかで歌っているようなもの。

でもだからこそ、いい加減なものは出来ないという。

それに見合う準備、はたして出来ているのかなという気持ちが、

ザ・緊張。

への道へまっしぐらなのです。

くわえて、教会行事は、結婚後の本名・吉川真理子としてしますので、
なんていうのか。。すっぴんの私、として向かう感覚があるのです。
すごくすごく、頼りない感じですね。


でも、必ず歌っているうちに、どんどん神様が近くなって、強く働いてくださるのがわかって、

いつも最後は本当に嬉しいうれしいで終わる。


ほんとに、いつものコンサートとまったく違う種類の、なんとも言えない「やりました感」が全身を包みます。


教会とわたし。
忙しくてなかなか礼拝も行けない、だめだめクリスチャンのわたしですが、
やっぱりこの時間が必要とおもいます。


というわけで。
今年もまた、

メリークリスマスなのです!

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